北条時方を訪ね国会図書館へ
- 北原
- 3 日前
- 読了時間: 2分
インターネット上で調べられる史料には限界がありました。
そこで私は、国会図書館へ足を運び、どうしても確認したかった一冊の本を調べてきました。
『北条氏系譜人名辞典』です。
私が知りたかったのは、「北条時方」という人物が実在したのか。そして、どのような人物だったのかということでした。
すると、ついにその名前を見つけることができました。
『北条氏系譜人名辞典』P.224より
北条時方
時房流の人物
父は北条房忠
母は未詳
大仏家の庶流で、評定衆・北条朝直の管領にあたる一族
さらに、次のような記述がありました。
正慶元年(元弘2年・1332年)8月3日、山城国上久世庄公文職補任状を出した人物に「時方」がいる。当時、久世庄は得宗領であったため、この時方が本人である可能性が高い。おそらく北条氏滅亡時に死亡したと思われる。
典拠
『東寺百合文書』
正慶元年(1332年)8月3日
時方上久世庄公文職補任状案
『鎌倉遺文』第41巻 31799号

この発見が意味すること
私にとって最も大きな収穫は、「北条時方」が実在の人物として確認できたことです。
しかも、1332年8月3日には京都で幕府の公文書を発給する立場にあったことが分かります。
一方で、『北条氏系譜人名辞典』には、
「おそらく北条氏滅亡時に死亡したと思われる」
とあります。
しかし、この表現は「戦死したことが史料で確認されている」という意味ではありません。
現時点で確認できる史料は、1332年8月3日の文書までであり、その後の足取りが不明なため、辞典の編者が「北条氏滅亡時に死亡した可能性が高い」と推定しているものです。
つまり、1332年8月以降から1333年5月の鎌倉幕府滅亡までの約9か月間には、まだ大きな空白が残されています。
次のテーマは
「北条時行はどのようにして鎌倉を脱出し、諏訪へたどり着いたのか。」
その鍵を握る人物の一人が、この北条時方ではないかと考えています。
北条時方は、時行の親戚です。
諏訪頼重はどうやって、若い時行を認識していたのでしょうか?
時行の顔を知っているものがいなければ、恐らく時行と分からなかったはずです。

今回の国会図書館での調査によって、その人物が確かに存在し、1332年まで活動していたことが確認できました。
これからは、
東寺百合文書
鎌倉遺文
東勝寺合戦関係史料
諏訪氏関係史料
などをさらに読み込みながら、北条時方の空白の9か月を追いかけていきたいと思います。
この小さな一歩が、北条時行救出の真相に近づく、大きな一歩になるかもしれません。



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