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足利直義という人物の考察

  • 北原
  • 1 日前
  • 読了時間: 7分

兄・足利尊氏と実の兄弟でありながら、日本を二分する凄惨な権力闘争「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」で激しく戦うことになった足利直義(ただよし)。



彼がいったい何を思い、どのような人物だったのか。北条時行や諏訪直頼とも関係が深かったとされ、歴史の波に翻弄された彼の内面を探る中、ある1冊の非常に興味深い本と巡り合いました。それが、彼自身の言葉が詰まった『夢中問答集(むちゅうもんどうしゅう)』です。


伝説の高僧「夢窓疎石」とは?


この本は、足利直義と、当時の最高峰の禅僧・夢窓疎石(むそう そせき)との一問一答をまとめたものです。


夢窓疎石は、後醍醐天皇から「夢窓国師」という国師号を与えられ、後に歴代7人の天皇から国師号を授与されたため「七朝帝師(しちちょうていし)」と称された伝説的な高僧です。激動の時代を精神的支柱として生き抜き、正平6年/観応2年(1351年)に77歳でこの世を去りました。


「父と子」のような年齢差が紡ぐ関係性


この『夢中問答集』や当時の歴史的背景を読み解く上で、ハッとさせられるのは彼らの

「年齢差」です。


直義が疎石に教えを請うた時、夢窓疎石は70代の老僧であり、直義は40代。両者の間には、まさに「父と子」ぐらいの違いがありました。

そして非常に興味深いことに、観応の擾乱の折に直義派として共に戦った北条時行や諏訪直頼といった武将たちは、当時まだ20代前半。つまり、40代半ばの直義と彼ら若き武将たちとの間にも、同じように「父と子」ほどの年齢差があったのです。


現代にも通じる直義の素直な疑問


武家社会のトップに立ち、政治の修羅場をくぐり抜けてきた直義ですが、彼が夢窓疎石に投げかけた質問は、驚くほど素直で実直なものでした。


* 「世間の仕事と修行は両立できるのか?」

* 「善人が不幸になり、悪人が栄えるのはなぜか?」

* 「次々と湧いてくる雑念はどうすれば消えるのか?」


こうした現代の私たちの悩みにもそのまま通じるような普遍的な疑問に対し、夢窓疎石は難しい仏教用語を避け、当時の武士にもすっと腑に落ちるように分かりやすく丁寧に答えています。権力者として奢ることなく、「人間としてどう生きるべきか」を真剣に探求する直義の生真面目な素顔が、この一問一答から非常によく伝わってきます。


想像が膨らむ、若き武将たちとの語らい


骨肉の争いとなった観応の擾乱の中で、直義自身も深い悲しみや迷いを抱え、苦しんでいたはずです。


激動の時代の最中、もしかすると直義は、自分の息子と年齢の変わらない北条時行や諏訪直頼たちに対し、「かつて夢窓国師からこのような話を聞いてな…」と語りかけていたのではないでしょうか。

『北条時行にしてみれば、一族を滅ぼされて…』

『諏訪直頼にしてみれば、父や祖父を自害に追いやって…』 


そんな彼らに直義はかつて「父(疎石)」から教わった言葉や、自らが素直にぶつけた疑問への答えを、今度は自分自身が「父」のような立場で「子(若き武将たち)」の世代へと語り継いでいたのかもしれない……そんな想像が無限に膨らみます。


血で血を洗う戦いの合間に、直義が若者たちと夢窓疎石の教えについて静かに語り合っていた光景を思い浮かべると、歴史の教科書には載っていない「足利直義」という一人の人間の息遣いや体温が、より一層リアルに感じられるはずです。



<以下一問一答(抜粋)>


夢窓 疎石(むそう そせき)


夢中問答集 抄録

(康永3年(1344年)・夢窓国師述 / 足利直義問)


【大慈大悲ノ事】

[問] 衆生ノ苦ヲヌキテ樂ヲアタフル事ハ、佛ノ大慈大悲ナリ。シカルニ世間ニ苦患ノ者多キハ何故ゾヤ。

[答] 世ノ人ノ求ムル福ハ皆有漏(迷い)ノ福ナリ。佛ノ大慈大悲ハ、世間ノ富貴ニ非ズ、生死ノ苦ヲヌキテ涅槃ノ樂ヲアタフルヲ以テ本トス。

【現代語訳】

(直義)仏は「苦しみを抜き安楽を与える」と言いますが、なぜ世間には苦しむ人が多いのですか。

(夢窓)世間の人が求める幸せは一時的なものです。仏の本当の慈悲とは、目先の富ではなく、迷いの輪廻から救い出し、永遠の悟りの安楽を与えることなのです。


【世間ノ務メト佛道ノ事】

[問] 武家ノ公務ニ預カリテ、要務ニ迫ラレタル身ニテ、佛道ヲ修行スルコトハ叶フベキヤ。

[答] 世間ノ法ハ佛法ト別ニアラズ。タダ己ガ私心ヲ交ヘズ、其ノ務メヲ専ラニスルハ、即チ菩薩ノ行ナリ。

【現代語訳】

(直義)武士として政治や戦に追われる身で、仏道を修行することはできるのでしょうか。

(夢窓)世間の仕事と仏法は別の世界のものではありません。自分の欲望を交えず、ただ目の前の務めに専念するならば、その仕事そのものが菩薩の修行となります。


【本分ノ田地ノ事】

[問]本分ノ田地ト申スハ何ナル事ゾヤ。

[答]凡聖迷悟イマダ分カレザル処、世間ノ名相モ及バザル処ヲ、本分ノ田地ト名ヅク。

【現代語訳】

(直義)禅でいう「本分の田地(本来の清らかな心)」とは何ですか。

(夢窓)凡人と聖人、迷いと悟りといった言葉による区別がまだ生まれる前の、ありのままの境地のことを言います。


【念仏ト坐禅ノ事】

[問]念仏ト坐禅ハ、修行ニ於テ孰(いづ)レカ優レタルヤ。

[答]佛法ニ本ヨリ優劣ナシ。タダ衆生ノ機ニ随ヒテ、薬ヲ与フルガ如シ。道ニ至ルハ其ノ心ノ清浄ナルニ在リ。

【現代語訳】

(直義)念仏と坐禅では、どちらが優れた修行なのでしょうか。

(夢窓)仏の教えそのものに優劣はありません。人それぞれの性格や状況(機根)に合わせて薬を与えるようなものです。どちらの道も、心が清らかになるかどうかが肝心です。


【福ヲ求ムル事】

[問]福ヲ求ムルコトヲ制スルハ、道ノ障トナル因縁ナレバカ。

[答]己ガ身ノタメニ福ヲ求ムルハ障リトナルトイヘドモ、一切衆生ノタメニ菩提心ヲ発スハ、無上道ヲ求ムルナリ。

【現代語訳】

(直義)ご利益(福)を求めることを禁じるのは、修行の妨げになるからですか。

(夢窓)自分のためだけに福を求めるのは妨げになりますが、生きとし生けるもののために福を願い、心を起こすのであれば、それは最高の仏道となります。


【不立文字ノ事】

[問]禅門ニハ不立文字(ふりゅうもんじ)トテ教論ヲ用ヒザルヤ。

[答]経教ハ標月ノ指(月ヲ指サス指)ナリ。指ヲ見テ月ヲ忘ルルハ愚カナレドモ、指ニ由リテ月ヲ識ルハ智ナリ。

【現代語訳】

(直義)禅宗では「言葉に頼らない」と言って、経典を読まないのですか。

(夢窓)経典は「月(悟り)」の方向を教える「指」のようなものです。指の形(知識)ばかり見て月を見ないのは愚かですが、指を道しるべとして月を知ることは素晴らしい智恵です。


【因果ノ理ノ事】

[問]世ニ善人ノ災ヒニ遭ヒ、悪人ノ栄ユルヲ見ル。因果ノ理、現前ニ違(たが)フ事アルハ何故ゾヤ。

[答]因果ニハ三時(過去・現在・未来)ノ報アリ。眼前ノミヲ見テ、長キ世ノ因果ヲ疑フベカラズ。

【現代語訳】

(直義)善人が不幸になり悪人が栄えるなど、因果応報の法則が間違って見えるのはなぜですか。

(夢窓)因果の報いは、前世から来世までの長い時間をかけて現れるものです。今この一瞬の状況だけを見て、宇宙の法則を疑ってはいけません。


【隠遁ト塵労ノ事】

[問]山林ニ隠遁スルト、俗塵ニ交ワルト、佛道ニ於テ孰レカ勝レルヤ。

[答]道ハ処所ニ在ラズ、心ニ在リ。深山ニ在リテモ名利ヲ求メバ俗ト同ジ。市井ニ在リテモ心清ケレバ即チ道場ナリ。

【現代語訳】

(直義)山奥に引きこもるのと、俗世間で暮らすのでは、どちらが良い修行になりますか。

(夢窓)仏道は場所に宿るのではなく、心に宿ります。山にいても名誉を求めれば俗世と同じです。逆に、騒がしい町中にいても心が清らかならば、そこが立派な道場です。


【妄想ヲ息ムル事】

[問]心ニ起ル妄想ヲ息(や)ムルニハ、如何ナル工夫ヲナスベキヤ。

[答]妄想ヲ息マントスルモ亦、是レ妄想ナリ。妄想ノ起ルニ任セ、之ニ随ハズ、之ヲ恐レザレバ、自ラ息ムベシ。

【現代語訳】

(直義)次々と浮かぶ雑念や妄想を消すには、どうすればよいですか。

(夢窓)「妄想を消そう」と焦ること自体が、すでに新たな妄想です。湧き上がるに任せ、執着せず、恐れずに放っておけば、自然と消えていくものです。


【浄土往生ノ事】

[問] 死後ノ極楽往生ヲ願フハ、禅宗ノ旨ニ違フヤ。

[答] 心浄ケレバ即チ佛土モ浄シ。死後ニ西方ヲ求ムルヨリモ、先ヅ眼前ノ己ガ心ヲ清浄ニナスベシ。

【現代語訳】

(直義)死んだあとに極楽浄土へ行きたいと願うのは、今ここを重んじる禅の教えに反しますか。

(夢窓)自分の心が清らかであれば、今ここがすでに浄土です。死んだ後の遠い世界を求めるよりも、まず今の自分の心を清らかにすることが先決です。

 
 
 

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