感謝とパズル
- 北原
- 2023年4月1日
- 読了時間: 1分
先日、ご高明でいらっしゃる
中世内乱研究会総裁
細川様
中世内乱研究会
会長鈴木様
お二方に会いできました。
北原家のルーツの仮説と経緯をお話しさせて頂いたところ、とても、快くお話し聞いて頂き、感謝しかありません。
もちろん専門家でいらっしゃるので、膨大な知識と資料をお待ちでお話しについて行くので精一杯でした。
ここで頂いた情報でルーツを探るのにあたり埋めていかなくてはいけないことが沢山見つかり、今後のライフワークを進めて行ければと思います。
神氏系図によると、諏訪頼重の子、諏訪時継は長男、その他にも4人兄弟がいることがわかりました。


高重、高継、貞顯、万歳の
5人兄弟だったようです。
頼重と時継は鎌倉にある勝長寿院で自害しているため、名前が一緒の人物は高重、高継2名であり、どちらかに関わりがあるのではないかと推測しております。
また、家系図で出てくる左衛門は中世時代の官職だということがわかりました。
諏訪頼嗣は、1363年以降の1365年に小笠原長基と戦い(守矢満実書留)と記録があり、出家するのは少々難しいように思いました。
歴史のパズルを埋めるのにはまだまだ時間がかかりそうです。
近日北原本家に行く用事がありますので
新しい資料が出たら、またブログを更新したいと思います。


初めまして。私も元は北原姓で、ルーツを気にしている者です。
実家は栃木県にありますが、元は南木曽の蘭という場所の出とのことです。
明治維新の折、田畑を島崎家(藤村の実家?)に売り、栃木の開拓地に移住したとのことでした。
南木曽の蘭には江戸の初期に移住したとの記録があるようで、その際に諏訪神社が勧請されたとのことです(ソース不明)。
実家の家紋は丸に二つ引きで、高遠の北原家と近いものを感じるのですが、実家に伝わる一族の出自は藤原南家伊東氏で、さらに源平の時代には平家に味方したとのことです。
さておき、私の回りにも何人か北原家が居りますが、由緒来歴を気にされる方が多いような気がいたします。
これも北原家の遺伝子によるものなのでしょうか。
今後の研究進展に大いに期待しています。
私も北原の姓でして、今年、飯田に帰省した際に父親から家系図を渡され何気なく検索したこちらのサイトにたどり着きました。片桐へ移住し、永禄二年に分家し飯田に移住した一族ですがこちらの家系図とほぼ同じ内容で驚きまた感動しました。 陰ながら応援しています!