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家系図からの時代背景を探る
北原家の家系図
長野県諏訪高遠にある北原という地名に私達の本家がある。
北原は〇に二の字家紋であり、諏訪家から続いていると聞かされ、北原家は清和源氏の満快流ともいわれており、源氏の名から依田、手塚という姓も見受る。


蓮華寺 長野県伊那市高遠町長藤的場105

長野県伊那市高遠町藤澤北原にある
北原山長久寺
家系図にある通り北原源太郎頼一は、1363年に出家しているという。
この事実から北原家と諏訪家の関係を考察するのが、もっともはやい。
1363年当時、諏訪家で起きていたことは、(1335年)中先代の乱に現れる人達
すなわち、北条時行、諏訪頼重、諏訪頼嗣、足利尊氏の弟(足利直義)
この人物が北原家のルーツの鍵と考える。
神系系図によると、頼重→時継→頼継
となっており
頼重と時継は鎌倉にある勝長寿院(跡地)で自害をしている。
頼重の子には神氏系図によると5人の子どもがおり
時継・高重、高継、貞顯、万歳
この内、高重、高継、貞顯、万歳の誰かが北原のルーツになったのではないか。
長野県高遠北原に降り立ち、北原家の始祖になったのではないかと推察する





長野県伊那市高遠町藤澤北原のバス停


神長官守矢史料館の裏手にある 諏訪氏代々の墓
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